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4月25日は早すぎた伝説のロックシンガー尾崎豊の追悼日。今年は没後何回忌?
4月25日、早すぎた伝説のロックシンガー尾崎豊(享年26歳)が亡くなって、もうどれほどの年月が過ぎたのでしょうか?
当時まだ2歳だった一人息子の尾崎裕哉も2016年27歳でメジャーデビューしました(シングル『始まりの街』)
あの頃、尾崎豊を兄のように慕っていた人も、同年代だった人も今ではすっかり大人になって、新しい家庭の中にいることでしょう。
時代も年号も変わって、街も人も価値観さえも何もかもが変わってしまいましたが…
今でも、尾崎豊の曲だけは変わりません。
彼が残してくれた言葉と音楽、そしてその想い。それらをファンが持ち続けている限り尾崎豊という存在は永久に普遍的なのです。
そしてこれからも、孤独で刹那的に生きる若者たちの心と共感し、聴き継がれていくのではないでしょうか。
ー追悼 尾崎豊ー 没後・回忌・年齢まとめ
そして、ファンにとって毎年気になるのが「今年で何回忌?」「今生きていたら何歳?」という話題です。
これに関しては、どこもまとめていなかったようなので、一覧にまとめてみました↓
ー追悼 尾崎豊ー 没後・回忌・年齢まとめ
1992年4月25日(葬儀・追悼式)享年26歳
1993年4月25日(1周忌)
1994年4月25日(2回忌)
1995年4月25日(3回忌)
1996年4月25日(4回忌)
1997年4月25日(5回忌)31歳
1998年4月25日(6回忌)
1999年4月25日(7回忌)
2000年4月25日(8回忌)
2001年4月25日(9回忌)
2002年4月25日(10回忌)36歳
2003年4月25日(11回忌)
2004年4月25日(12回忌)
2005年4月25日(13回忌)
2006年4月25日(14回忌)
2007年4月25日(15回忌)41歳
2008年4月25日(16回忌)
2009年4月25日(17回忌)
2010年4月25日(18回忌)
2011年4月25日(19回忌)
2012年4月25日(20回忌)46歳
2013年4月25日(21回忌)
2014年4月25日(22回忌)
2015年4月25日(23回忌)
2016年4月25日(24回忌)50歳
2017年4月25日(25回忌)51歳
2018年4月25日(26回忌)52歳
2019年4月25日(27回忌)53歳
2020年4月25日(28回忌)54歳
2021年4月25日(29回忌)55歳
2022年4月25日(30回忌)56歳
2023年4月25日(31回忌)57歳
2024年4月25日(32回忌)58歳
2025年4月25日(33回忌)59歳
2026年4月25日(34回忌)60歳
2027年4月25日(35回忌)61歳
若者の代弁者、教祖的カリスマと呼ばれた尾崎豊も、今現在(2023年)もし生きていればもう57歳なんですね…(^^;
自分の仮想イメージとしては矢沢永吉や長渕剛のように、今でも熱狂的なライブ活動と破天荒な話題(ご想像にお任せしますw)で年代を超えた音楽活動をやってるんだろうなあ~なんて思います。
↓「OZAKI30 LAST STAGE 尾崎豊展」福岡会場へ行った時の動画ですw(∩´∀`)∩
※1回500円の”尾崎豊ハンドタオルガチャ”を回しまくるだけのダレトクな動画です(笑)
ちなみに、自分が一番好きな尾崎豊のアルバムは(全部好きすぎて決められないですけどw)、彼の生前最後の遺作となった「放熱への証」がやっぱり一番印象が強く、思い入れのあるアルバムです。
早すぎた伝説のロックシンガー尾崎豊(享年26歳)に捧ぐ。
【尾崎豊26歳、早すぎる突然死の原因と真相】
1992年(平成4年)4月25日(土)早朝、当時の尾崎の自宅であるマンションから約500メートル離れた、足立区千住河原町の民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを住人に発見された。5時45分ごろ、通報で墨田区内の白鬚橋病院に運び込まれる。
診察した医師は「生命に関わることも考えられるので、専門医に診てもらった方がいい」と診断したが、尾崎は妻と兄とともに自宅マンションに戻る。
しかし、10時頃になって容体が急変、呼吸が止まっているのに気がついた家族が約1時間後の11時9分に119番通報。
日本医科大学付属病院で手当てを受けるも、午後0時6分に死亡した。死因は肺水腫。
後日、雨の降る中4月30日(木)東京都文京区の護国寺にて葬儀・追悼式が行われ、参列者は4万人近くに上り、規模は美空ひばり、吉田茂に匹敵するものとなった。
密葬は日蓮正宗にて営まれた。戒名は「頌弦院智心碩豊居士」、墓所は埼玉県所沢市の狭山湖畔霊園にある。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』尾崎豊より)
【オザカラうんちく】2009年04月25日(土) に、自主開催コミュニティの「オザカラ福岡」を初開催して、もう10年以上も経ちますけど…、当時は『尾崎豊onlyカラオケ』の交流はありましたが、まだ”オザカラ”という概念ではなくて、この”オザカラ”という通称名を全国で一番最初に使いだしたイベントは自分が全国で初だったんじゃないかな?…なんて。信じるか信じないかはアナタしだいです(笑)